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MORNING TALK

朝の心

人間の尊厳

2005.07.13
朝の心

 ルカ福音書19章にイエスとザアカイという人の出会いが書かれています。当時のユダヤはローマ帝国に支配されていて税金はローマ帝国に納めていました。ザアカイはその税金をあつめる仕事,徴税人の仕事をしていましたが,周囲の人々からは,支配されているローマ帝国の仕事を同胞であるユダヤ人がしているということで疎外され,決まった額以上をとりたてて,私腹をこやして資産家となっていたことで罪人呼ばわりされていました。
 イエスはザアカイに「今日あなたの家に泊まる」とおっしゃいました。群集たちは口々になんであんな罪人の家に泊まるのかと陰口をたたきました。しかし,イエスはザアカイをありのままに受け入れます。それはザアカイの現在の状態をそれでいい,そのままを認めるといった受け止め方ではありません。もしそうなら,ザアカイの不正を認めることになります。ザアカイもそのままの自分が好きではなかったでしょう。ザアカイの名前はそもそも純粋,潔白という意味がありましたが,その意味からはいつのまにか程遠い状態に陥ってしまったのでした。自分が好きではない状態をそれでいいといわれても戸惑いがあったと思います。そうではなくて,イエスの視点はザアカイが本来もっていた資質,そして本来の姿そのものを見抜いていて,必ずやそこに立ち返ることができること,すなわちザアカイの変化を見抜いていたのです。だから,群集がどういうかは意にも介さず,彼を受け止めたのでした。
 この話から,人が誰かに受け止められるということは,どういうことなのかを学ぶことができます。例えば,私たちが状態が悪くて,自分が思っていることとは違う言葉や態度を誰かに表したとしても,いや,あなたはもともとこんな人だけど何かの理由で今はそうじゃないと受け止めてもらえたなら,安心し,ホッとできると思います。すなわち,本来の私そのものは拒まれてないという安心です。人をどのように見ていき,受け止めていくか,イエスは多くのことを教えてくださいます。

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