MORNING TALK
朝の心
人間としての権利
- 2007.06.01
- 朝の心
人間とは何でしょうか。古代から現代に至るまで、問い続けている課題です。生まれたときには人間の姿をしていますが、未熟な状態です。人間と動物の違いを特徴付けるようなものを持っていません。生まれ落ちた環境や社会の影響を受けながら生きる権利や生きる方法を獲得して、成熟した人間になると言われています。しかし、何らかの障害を持って生まれたとしたら、どうなのでしょうか。
私たちが今住んでいる世界には、誰が決めたのか分からない制約や規則があります。子供を養育するだけの能力が備わっていなければ、そういう能力を持った人に代わってもらうように要請されることがあります。家庭を維持できる能力が欠けていると判断されれば、何らかの処置を講じるシステムが存在します。その判断や決定は第三者が行っています。そういう人たちは、その親子関係や家庭の状況を何を基準として推し量るのでしょうか。
そんなことを考えてしまう映画が、「I am Sam」です。
知的障害者で、子供の知能より劣るという理由だけで子供を取り上げられる父親。裁判で親権を争う父親と協力者の姿。その父親を慕う子供の姿。様々な場面が展開されていきます。その経過や結果はいかに。
人間の生きる権利とは何か。人間とは何か。家庭作りや親子関係の条件とは何か。親とは何か。ふだん、気にもしなかったことが定義されている作品だと思います。
「神は造られたものを見て、良しとされた」という聖書の箇所は、全ての生きとし生けるものが神に造られたもので、そこには何の差別もなかったという意味です。差別や区別を誰が作ったのかを考えさせてくれる作品です。