MORNING TALK
朝の心
希望の十字架
- 2010.05.20
- 朝の心
人は誰でも、つらいこと、苦しいことを必ずどこかで経験します。自分が何一つ悪いことをしていないのに、不幸な目に会うこともあります。病気にかかったり、思いがけない事故にあったり、家族の誰かを失ったり・・。実際にこの世界には、信じられないほどの苦しみを受けている人が大勢います。心の正しい人が、悪い人たちによって、苦しめられていることもあります。また、戦争で殺されたり、犯罪の犠牲になったり、飢えや寒さで死んでいったりする人もいます。そういう時、人はこう言います。「神も仏もあるものか!」
そのことばには「もし神様や仏様がいるのなら、どうして、私を、また多くの人を苦しめるのか」という、怒りの気持ちが込められています。そして多くの人は、そう言って神様を信じようとはしません。耐えられないような苦しみを受けている人が、そういう気持ちになるのはやむを得ないかもしれません。でも、本当に神様は、私たち人間の苦しみを黙って見ておられるのでしょうか。
そうではありません。神様は黙っているのではなく、私たちの全てを静かに受け入れてくださっているのです。神と等しい方である、イエスご自身が、私たちの人間の苦しみや最もつらく恐ろしい苦しみを、私たちを助けるためにすすんで引き受けてくださったのです。その出来事を思い起こすために「十字架」があります。
日向学院の十字架を見て学校に来られる方もいるようです。十字架はミッションスクールである「しるし」であるだけでなく、そこに大きな希望が宿っていることの「しるし」です。
苦しいことや悲しいことがあった時、静かに神様に全てを委ねてみましょう。