朝の心
なんのために生まれて なにをして生きるのか
- 2012.06.14
- 朝の心
「そうだうれしいんだ 生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君はいくんだ ほほえんで」
この歌詞を知っていますか?一度は観たことがあると思いますが、アニメの「アンパンマン」の主題歌の歌詞です。この歌詞を聞いて、思わず歌い出した人もいるかもしれませんね。
このアンパンマンの原作者であり、この詩を書いたやなせたかしさんはクリスチャンと言われています。アンパンマンは仲間を助けるために自分の顔をちぎり与えます。つまり自分を犠牲にします。それは、「取って食べなさい。これは私の体である」(マルコ26・27)と最後の晩餐でイエスが言われ、そして自ら人々のために全てを捧げたイエスの生き方そのものを表しています。
動物と人間の違いは何か?という問いに対して、いろいろ定義があると思いますが、ある人がこう言いました。「自分の利益、身内以外のため、また種の保存を目的としないで自分を犠牲にすることができる行為、これは人間だけができることだ」と。
「何のために生まれ、何をして生きるのか」という問いに、やなせたかしさんは「自分の胸が痛んでも、人のために捧げよう」と言いたいのでしょう。それは、先程の定義に従えば人間がより人間らしくなるための行いなのです。そして、本当に人のために何か善いことをするのは、単なる綺麗事ではなく、とても辛いこと、大変なこと、犠牲を伴うということなのです。
先週、田村神父の話にもあったように6月は「御心の月」です。「御心」とはイエスの心をさします。つまりイエスがどれだけ私たち一人ひとりを大切に思ってくださっているのかというイエスの心を特別に思い出す月です。それは自分の命さえも捧げるほどの私たち一人ひとりを大切に思ってくださっているということです。
マザー・テレサは言います。「愛してください。痛みを感じるまで愛してください」と。
写真は校長室にある華道部(高校)の作品
緒方華那さん(2−C)、川野清楓さん(2−C)