朝の心
神の似姿
- 2013.06.07
- 朝の心
高校総体の応援で、週末の2,3日間、県内あちこちの会場をまわりました。
車で走っていると、いたるところで綺麗に咲いている紫陽花に気がつきます。市街地を走っていても、海岸沿いや山道を走っていても、紫陽花はそれぞれの場所で美しく咲いています。雨が降ると、多くの花はしょんぼりして元気がなくなるイメージがありますが、雨に咲く紫陽花には、ことのほか美しさが感じられます。私は、雨あがりに少し日がさして、雨露がきらきら光っている様子がとても好きです。雨が降っても、晴れても曇り空でも、紫陽花はどんな空の下にも似合う咲き方ができる花なんだなぁと思います。
晴れてもよし曇りてもよし不二の山 もとの姿はかはらざりけり
これは、幕末から明治期にかけて活躍した政治家・山岡鉄舟という人が詠んだ短歌です。
前半は、富士山は、晴れた日の美しさはもちろんのこと、曇がかかっていてもそれはそれで美しいという意味です。そしてこれは、後半の「もとの姿は変わらない」という句にかかってきます(『心の杖』参照)。
私たちはとかく見た目や、その移り変わり様に目を奪われがちですが、「もとの姿」、つまり変わりつつある動きの奥にある本来の姿に目を据え、真理を見極める深い洞察力を養うことが必要なのではないでしょうか。それは自然に対してだけでなく、人間に対しても同じだと思います。仏教的に言えば、人はそれぞれ「仏性」という真の性質を持っています。見た目や肩書など、見える部分だけでその人を評価したり好き嫌いを判断したりせず、人間が本来もっているすばらしさや美しさを見つめ、真理を見失うことのない関わり方を大切にしたいものです。
聖書では、神が人間を創られた時、「きわめて良い」ものとして創られたと示されています。人は、「神の似姿」、つまり「神のかたち」に創造されたと言われているのです。
写真は華道同好会中学1年生の作品