朝の心
十人のおとめ
- 2013.09.27
- 朝の心
先週の水曜日、近くにある高千穂乳児保育園の避難訓練が、学院でおこなわれました。高校3年生の何人かが避難場所を綺麗に掃除してくれたり、高校2年生の有志が乳児たちの避難をお手伝いをしてくれて無事に終えることができました。おととし東日本大震災を体験した私たちは、こうした防災への意識が高まり、最近では南海トラフ地震などに対する備えも浸透しつつあるようです。
さて、聖書に「十人のおとめ」のたとえ話があります。その昔、花婿が花嫁を迎えに行く習慣がありました。当時は、花嫁の家の前で花婿が来るのを待ち、花嫁のもとに案内する役目のおとめたちがいました。聖書ではそのおとめたち十人の中に、賢い五人と愚かな五人がいたそうです。ある時、花婿が遅れて真夜中にやって来ました。賢いおとめたちはそんな時のために、余分の油をきちんと備えています。しかし愚かなおとめたちには余分な備えがなかったので、油がありません。それで愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに「油を分けてください」と頼むのですが、「分けるほどもないので、店に買いに行きなさい」と言われます。そして帰ってくると結婚の宴は始まっていて、愚かなおとめたちは中に入れてもらえなかったというお話です。
この話を聞いて、賢いおとめたちは愚かなおとめたちに少しぐらい油を分けてあげたらいいのに、と思うかもしれません。しかしこのたとえ話では、油とは人には分けられないものを指しています。それはその人自身が持っている心のことです。また結婚式の祝いとは、人生の終わりで神のもとに召される時、神の国の喜びに招かれた場合を指しています。つまり、私たちは神の前に立たされた時にどれだけ油を持っているのか、言い換えればどれだけ自分の心を豊かに持っているか、ということを表しています。自分の心は人からもらうこともできなければ、与えることもできないのです。
災害に対しての備えは大切なことです。でもそれ以上に私たちは、賢いおとめのように、自分の油つまり豊かな心をたくさん持ち、常に備えていたいものです。
写真は華道同好会:松元沙姫さん(2−1)の作品