朝の心
道草
- 2014.02.07
- 朝の心
インドネシアのスマトラ島で伝道活動をされていた浅見祐三牧師には、次のようなエピソードがあります。「ある時、急いで三か所に書類を届けなければならない用事ができました。地元の五十がらみのおじさんがその仕事を買って出て、三か所、約20キロの距離を自転車で回ってきてくれました。しかし帰ってきた彼は、なぜか無口でぼんやりしています。具合でも悪いのかと思って尋ねたところ、『速く回りすぎました。体は帰ってきたんですが、魂がまだ帰ってきていません』と答えたのです。」
がむしゃらに突っ走ることも必要ですが、時々私たちはあまりにも急ぎすぎて、大切なものを忘れてしまうことや、置き去りにしてしまうことがあるのかもしれません。
「道草」という言葉がありますね。この言葉を聞くと、小学生だったころを思い出す人もいることでしょう。私も子供のころ帰り道に道草をして、30分ぐらいで帰れるところを1時間も2時間もかかっていたことがよくありました。道草をしながら、いろいろなことを発見したものです。虫や植物など自然と触れ合ったり、新しい遊びやアイディアなどが生まれたりしたのも道草をしている時が多かったように思います。
脚本家の山田太一さんは朝日新聞で、「プラスとされる価値でなくマイナスとみられることが、実はしばしば『人間を潤している』」と述べています。無駄に思われがちな道草の時間も、実は様々なものごとに遭遇する良い機会だったと言えるのではないでしょうか。
また、イギリスには『セレンディップの三人の王子たち』というお伽話があります。主人公たちが旅の途中で意外な出来事に遭遇しながら、探してもいない珍しい宝を偶然に発見するというお話です。この物語の題名から、「思いがけないものを発見する能力」を意味する「セレンディピティー(serendipity)」という単語が造られました。
何でも直線的に進まなければ満足しないという人がいるかもしれません。ただ、失敗や挫折、また寄り道を経験することによって、人生がより豊かに耕されていくことも事実であると思うのです。
写真は華道同好会 中崎由唯さん(2−C)の作品