朝の心
卒業を前に
- 2014.03.17
- 朝の心
皆さん、おはようございます。
いよいよ、明日は卒業式ですね。高3の皆さんはこの6年、または3年間の日向学院での生活を思い出しながら、いろいろと感慨にふけっているところではないでしょうか。
「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。」(テモテへの手紙二4:7-8)
これは、使徒パウロが自分の死を前にして、手紙に書いている一文です。ここには、自分のできる限りのことを必死でこなし、やり通した人の満足感が感じられます。あることが終わりに近づくと、人は自分に起こった数々の出来事のまとめをします。その内容が濃ければ濃いほど、また、たとえ紆余曲折があって思うようにならなかったとしても、それがドラマに満ちていればいるほど、大きな満足感を得られるのではないでしょうか。
また、人生の区切りを迎えるときには、いつも「感謝」の気持ちを持ちたいものです。自分がここまでたどり着くことができたのは、決して自分一人の力だけではないからです。皆さんが良く知っている一人の神父様がこんなことを話してくれました。彼が神父になる式を控えた前の晩、自分が関わってきた、または自分に関わってくれた人の名前を思い出せる限りリストアップしたそうです。そうしたら、どれだけ自分が助けられ、生かされてきたかを知ることができたと言っていたのを覚えています。もしかしたら、その名前の中には、あまり思い出したくもない名前があったかもしれません。その名前とともに、嫌な思い出がふっと心に浮かぶ人もいたかもしれません。しかし、神様はそんな自分にとって負になる人をも私の成長のために使うことができる方なのだと知るときに、自分の出会ったすべての人、すべての経験に感謝することができるようになるのではないでしょうか。
音楽の長い楽曲でも、区切りはとても大切です。しっかりと区切りがつけられないと、その音楽はダラダラとしてしまりがなくなってしまいます。今、高校3年生の皆さんは、一つの楽章の終わりの区切りにたどり着こうとしているのでしょうか。高1、高2の皆さんもあとひと月ほどすれば、学年の区切りの2縦線がやってきます。その時その時の区切りをしっかりと締め、次の小節、次の楽章に希望をもって、人生のメロディーをつなげていってほしいと思います。すべての終わりはまた、新たなる始まりでもあるのです。