朝の心
見えないところほど手を抜かない
- 2014.09.24
- 朝の心
福音書に描かれるイエスの姿を見ていると、時々、イエスが烈火のごとく怒り、時の指導者たちに痛烈な批判を浴びせている箇所があります。例えば、マタイ福音書には次のようなイエスのセリフがあります。「あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる穢れで満ちている。」真面目なふり、働いているふりをして、外面上良く見せれば、他の人から非難されないだろうと思っていたのでしょうか。
曹洞宗のお坊さんで建築家でもある桝野俊明さんは、『日本人はなぜ美しいのか』という本の中で次のように言っています。京都や奈良に昔からあるお寺や神社の建物を修復するとき、一度すべてのパーツを解体してばらすのですが、その時、作業にあたる宮大工さんたちを驚かせるのは、内部のつくりの見事さだと言います。「うわあ、こんなにすごいことをやっているのか!」と。誰の目にも触れることのない内部にも、当時の匠は一切の手を抜いていないのです。おそらくその仕事のことで誰もその匠をほめたりした人はいないでしょう。逆に手を抜くことだってできたはずです。当時の職人さんたちは評価など気にせず、自分のできる限りのわざをそこに投入したのです。「見えないところほど手を抜かない」それが日本の職人気質というものだったのでしょう。
食品偽装、建築工事の偽装など、今では少しでも手を抜き、安く仕上げて、自分の利益を増やそうという職人さんもいないわけではありません。そうした中で、この古の職人さんたちの気質をわたしたちは見直さなければなりません。
皆さんは、人が見ていなかったらどうしているでしょうか。先生やお母さんの目の届かないところだったら、勉強や仕事をさぼったって怒られないさ。宿題やお手伝いだって、多少手を抜いても大丈夫。そのように考えていませんか?しかし、もっと上を目指す人間は、「見えないところほど手を抜かない」ものなのでしょう。誰も見ていない、誰も評価しないところだからこそ、一生懸命に自分のできる限りを尽くす日本の職人気質を、私たちの中にも取り戻したいですね。
そして、実はそういう隠れたところこそ、神様は見ているのです。