朝の心
沈黙の価値
- 2014.11.28
- 朝の心
先日、今週まで公開されている「大いなる沈黙へ」という映画を見に行きました。カトリック教会の中でも最も厳格な修道会のひとつと言われるカルトゥジオ会の、フランスアルプスの山奥にあるグランド・シャルトルーズ修道院の様子を、音楽なし、セリフなし、照明なし、唯一使える音楽は修道士たちが祈りで歌うグレゴリオ聖歌のみという中で描いたドキュメンタリー映画です。2時間半を越える長い映画で、私も途中ウトウトしてしまいましたが、見ているうちに自分も同じ修道院で生活しているような不思議な感覚になりました。
この修道院では、修道士一人一人が独房に入り、一日の大半をそこで祈りの内に過ごし、一緒に顔を合わせるのは共同の祈りのときだけ、しかもお互いに話ができるのは一週間のうち日曜日の昼食後、散歩の4時間のみという、まさしく沈黙と静寂に包まれた生活を11世紀の古くから行っています。当然テレビもラジオもインターネットも携帯もなく、そばにあるのは聖書や祈り、黙想のための本のみ。自給自足の極めて簡素な生活です。しかし、こんなに厳しい生活ではありますが、この生活にあこがれ、魅せられ、一生を修道院の中で祈りと労働にささげていく人が途絶えることはありません。なぜ彼らは、このような生活に引き寄せられていったのでしょう。映画の中ではそれについて語られることはありませんでした。
あらゆる場所が音で満ち溢れ、音楽やメッセージが電波で飛び交う今の社会に生きる私たちにとって、沈黙は恐れの種にもなりえます。黙っていることを不安に思う人もいるかもしれません。黙っていると落ち着かなくなる生徒もいます。しかし、実はその沈黙の中にこそ、より豊かな想像力とより高い精神へと導く大きな空間が広がっているのだとわたしは思います。
授業の1分前に、皆さんは黙想をします。どんな気持ちで黙想していますか?何を考えていますか?ただ次の授業のことを考えたり、怒られないように黙っているだけでは、何か勿体ない感じがします。
聖書によると、沈黙は神が人に語りかける場所です。
黙想のときには、それまでの騒がしい自分から離れ、沈黙の中から小さな声で自分に語りかけるものを、全身を耳にして聞いてみてほしいと思います。そしてその沈黙の時間を、皆さんに好きになってほしいと私は願っています。