朝の心
何でもある?
- 2015.11.13
- 朝の心
今から20年前、私はパプア・ニューギニアという国で3週間ほどボランティア活動をしたことがあります。その国がどこにあるか知っていますか。教えません。後で調べてください。
私はそこで、日本では想像すらできない文化の違いや経済的な貧しさを体験し、事あるごとに刺激を受けたものです。中でも特に印象深かったのが、活動中に仲良くなった一人の青年が、自分の村に案内してくれて自慢げに言った言葉でした。「この村には何でもあるぞ」と。私はびっくりしました。そこには電気も水道もありません。家も木で建てられた壁にバナナの葉っぱで覆われた屋根です。中は真っ暗で、真ん中には囲炉裏があります。よく見えないので目を凝らして観てみると、寝床らしいものはありますが、布団がありません。そしてあたりには、鶏や豚がいるといった具合でした。
私たちが「何でもある」と言う時、テレビや冷蔵庫などの電化製品が揃っていたり、衣類や食べ物に不自由しない状況を表していると思います。一方で、彼らにとっての「何でもある」とは、いったいどういう意味なのだろうと考えさせられました。とても衝撃的な言葉でした。
日本人の満足度を、諸外国と比べたニュースを見ることがあります。すると調査の仕方にもよりますが、だいたいどの分野でも日本人の満足度は低い結果が出ることが多いようです。皆さんも知っている通り、日本は世界でも経済的に豊かな国です。その意味では、どうやらお金や物だけで満足度が高くなるとは限らないことが伺えます。満足の度合いは人それぞれでしょうが、皆さんがこれから歩む道を選ぶとき、自分が本当に豊かになるため、心から満足するために、どういう生き方を大切にすべきかを、じっくり考えてほしいと思います。
最後に聖書の言葉を紹介します。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(マタイ福音書6章21節)。