朝の心
十字架称賛の祝日
- 2016.09.16
- 朝の心
今日 9月15日は中秋の名月です。例年 この日は曇りや雨の日が多く、美しい満月を見られる十五夜は数年に一度のようです。宮崎でも今夜は曇りの予報となっていて、お月様を見ることがかなわないかもしれません。それでも昔から日本人は、無月(むげつ)や雨月(うげつ)などと表現し、雲の向こう側で凛として照り輝く月を想像しながらお月見を楽しんできました。目には見えなくとも月夜を想像し鑑賞してきたこの風習は、風情にあふれていて素敵だな、と思います。
私たち人間の弱さの一つに、目に見えるものや目の前にあることについ心を奪われがちなところがあります。物事を理解するときや誰かを理解し受け入れるときは、その物事や相手の言葉、行いの奥や裏側に隠れている部分を想像し、考えることを大切にしなければなりません。言い換えれば目に見えるのはほんの一部分で、むしろ隠れたところの方がその物事の本質であり、その人の本性であることがしばしばです。本当の気持ちや本当に伝えたいことは、表面から隠れていることが多いのです。
9月14日はカトリック教会では十字架称賛の祝日でした。人々の救いと希望のしるしである十字架を、特に思い出す日となっています。十字架は、イエス・キリストが磔にされたときに使われたものです。当時は極刑(きょっけい)に使用されるものとして忌み嫌われたものでした。やがて時が経つにつれ、キリスト者はそれを信仰のしるしとして使用するようになりました。十字架の背後にあるイエス・キリストの復活を黙想することで、十字架そのものを救いのしるし、勝利のしるしとして見るようになったのです。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』に「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という有名な言葉があります。目に見えることだけに心を奪われることなく、その背後にある隠れたところにこそ目も心も向けていけるよう、広く深く豊かな見方、ゆとりある見方ができるようになりたいものです。
写真は華道同好会
金丸侑樹さん(2-B)の作品