朝の心
教皇フランシスコ回勅「ラウダート・シ」より
- 2016.10.24
- 朝の心
先週 山の中を一人で散歩していると、蛇に出くわしました。ちょっとびっくりしながらしばらく歩いていくと池があり、人の気配に気付いた何かの生き物が、水の中に隠れる音が聞こえました。蜘蛛の巣もいたる所にありました。やがて山を抜けると民家がちらほら見えてきて、稲穂が綺麗に実った田んぼが広がりました。たわわに実をつけた柿の木や、きれいな花もあちこちに咲いていました。刈り取りが済んだ田んぼでは白鷺が羽を休め、山影にはゆっくりと陽が沈んでいきました。とてものどかで美しい光景でした。こうして歩きながら改めて思ったことは、私たち人間は自然の中で生きていて、いろいろな生き物の一つに過ぎないということです。自然豊かな風景の中にいると心が落ちついてきたり、どこか懐かしさを感じたりするのはその証拠ではないでしょうか。
さて 昨年フランシスコ教皇は、環境問題についての文章を発布しました。「姉妹である(地球)は、神から賜った良きものを私たち人間が無責任に使用したり濫用したりすることによって生じた傷のゆえに、今、私たちに叫び声を上げています」という内容です。温暖化、砂漠化、生物多様性の減少、海洋汚染など、地球は今、環境破壊の危機的状況にあります。
こういった環境問題に対して一人ひとりが関心を持ち、今の贅沢な生活を見直し、変えていく必要があることは言うまでもありません。同時に、個人的な取り組みだけではどうにもできない地球規模の構造的な問題であることも現実です。教皇は、この構造的な悪と戦うため、何よりもまず私たちにできることとして、食前食後の感謝の祈りを大切にするように呼びかけておられます。「日々の食事をいただく時の感謝の祈りは、その食べ物がどのような場でどのような人々にどのようなつながりのもとで育まれ、どのように運ばれて自分のもとにやってきたのかを思い起こさせます」と。つまり、神からの贈り物である自然への感謝の思いを強め、それを提供する人々の労働に感謝し、最も困っている人々との連帯を再認識する力が、祈りにはあるからです。
食欲の秋と言われるこの時期、私たちが何気なくいただいている食べ物一つひとつにたくさんの恵みと感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。そして、日本のすばらしい習慣の一つである「いただきます」「ごちそうさま」を心を込めて唱えられるよう、もう一度確認しましょう。私たちの小さな祈りと自然への配慮、弱い人々への小さな気遣いとささやかな犠牲の繰り返しこそが、共に暮らす地球にとってかけがえのないものとなっていくにちがいありません(参考:『カトリック生活2016年10月号』)
写真は華道同好会
金丸侑樹さん(2-B)の作品