朝の心
なぜ彼等であって、私ではないのか
- 2017.05.24
- 朝の心
私はここ数年、インターネットで流されるTEDというトークイベントの動画を時々見ることがあります。一流の研究者や芸術家、アーティストや学校の先生にいたるまで、様々な人が世の中の知恵を会場にいる人々に語り掛けるイベントです。これを見ると、本当に刺激を受けます。
そんなTEDに先日、フランシスコ教皇が登場しました。といってもバチカンで録画されたビデオを通してでしたが。教皇様は会場に集まった人々に、世界の未来について語り掛けました。
昨今の中東における紛争によって、たくさんの難民がヨーロッパやほかの国を目指して危険な旅をしているのを、皆さんも耳にしたことがあるでしょう。そのようなニュースや映像を見るたびに、教皇様はこのように思うそうです。
「なぜ彼等であって、私ではないのか」
なぜ、彼らが今苦しまねばならず、私は苦しまなくてもよいのか。教皇様自身もイタリア移民の子として、彼らのように寝るところもなく食べるものもない生活をしていたかもしれない。でもそうではないのはなぜか。
そこで、皆さんもよく知っている「善いサマリア人」のたとえ話を教皇様は例にとります。盗賊に襲われ、瀕死の状態で倒れている人がいる。それを黙って見過ごす2人の有力者たち。しかし彼を助けた男がいた。それはひどい軽蔑を受けていた一人のサマリア人だった。彼はそばにより、男の傷に油を塗り、ロバに乗せて宿屋へ連れて行き、自腹を切って彼の世話を宿屋に頼む。教皇様は問いかけます。現在、世界中のいかに多くの人が、瀕死の状態で道に転がっている人々を黙って見過ごしているだろうか。サマリア人となって、具体的にそばに寄り、手を貸し、自腹を切ってまで世話を焼くのは、これを聞いている「あなた」であるべきなのだと。
世の中の富のために、人をも犠牲にする今のシステムに教皇様は警鐘を鳴らしています。そうではなく、あのサマリア人のように、地面にうずくまる人のそばに行き、身をかがめて同じ目線に立ち、手を差し伸べる、そんな「優しさ」の中に、未来へ向かって輝く希望の光があるのだと。
「なぜ彼等であって、私でないのか」。その疑問に対して、「今苦しむ彼らに何かできるように、今あなたは恵まれているのだよ」という、神様の声を感じるのは私だけでしょうか。
「今苦しむ彼らのための私」として具体的な一歩を踏み出すことで、みんなで世界を変えていく希望を私たちも持ちたいものです。
動画URL: