朝の心
愛を伝えるためには
- 2017.06.26
- 朝の心
自分の言いたいことがうまく伝わらなかった経験がある人は多いと思います。たとえば「嬉しい」という気持ち。「とても嬉しい」では伝えきれない、もっと適切に伝えたいという時です。最近出合った『たとえる技術』(せきしろ著)という本では、そんな時に「たとえを用いて」気持ちを伝えることを勧めています。
この本によると、嬉しい時の「たとえ」は、
「最後の期末テストが終わった時のように嬉しい」
「二度寝してもオッケーな時間だった時のように嬉しい」
と表現することによって、「たとえが感情の輪郭を明確にし、嬉しさを鮮明にしてくれる」ことを示しています。他にもいくつか紹介しますと、
・「押すなよ!」と言っているのに押してくれる人がいないような孤独感
・髪を切った後に鏡を見せられ「大丈夫です」と言ったような後悔
・「怒らないから言ってごらん」という言葉のように信じられない
・「ここではさすがに踊れませんね」とマイケル・ジャクソンが困るように狭い
などが記されています。感情や様子を具体的なたとえで表現することで、伝える相手の心に響かせ、気持ちのイメージを描かせることができ、より共感が得やすくなるのです。
私たち一人ひとりを限りなく大切に思ってくださっている父なる神。その気持ちを、神はわかりやすく具体的に示してくださいました。ご自分の一人子イエスを、私たちのために送ってくださったのです。その愛は、十字架の姿で最高点に達します。イエスが十字架につけられたのは、私たちをこの上なく愛し抜かれた具体的な姿なのです。そう思うと、教室の前に掲げられている十字架を見つめる時、神の愛の極みを感じずにはいられません。
私たちも相手への思いやりや優しさを具体的に表すことを心がけたいものです。なぜなら愛とはロマンチックだとか抽象的なものではなく、具体的な働きかけだからです。ドン・ボスコの言葉「愛するだけではなく、相手が愛されていると感じるまで愛しなさい」が、それを表しています。今日 出会う人や身近な人に、ほんの小さなことでも具体的な愛の業を行ってみましょう。そうすることで、この一日が「うっとうしい空模様の梅雨の合間にキラリと差し込む陽射しのような爽やかな日」となるのではないでしょうか。
写真:中庭に咲く紫陽花