朝の心
狭い門から入りなさい
- 2017.10.19
- 朝の心
ロバがたくさんの塩を背負って山道を歩いていました。ところが川にさしかかり渡ろうとした時、バランスを崩して転んでしまいました。ロバに載せられていた塩は、川の水でみるみる溶けだしてしまいます。おかげで背中が軽くなり、ロバは楽々と山道を進むことができました。
数日後、ロバはたくさんの海綿を積んで同じ山道を歩くことになりました。同じく川を渡ろうとした時、今度はわざと転びました。先日と同じように、荷物を軽くしようとしたのですが、その浅はかな考えが運のツキでした。その日の荷物はスポンジのように水を吸い込む性質の海綿です。結局、川の水をたくさん吸い込んだ海綿の重みでロバは起き上がれなくなり、溺れ死んでしまいました。(『ヘタな人生論よりイソップ物語』参照)。
この話はイソップ物語に収められています。「楽をしようと手を抜いたり、ずる賢いことを考えたりすると、苦労や困難は倍に跳ね上がり、後になってもっと大変な思いをする」という教訓です。
親鸞聖人は「観音勢至もろともに」という言葉を残しています。「観音」とは、空気、水、食料、衣服、娯楽など、生きる中での喜び、楽しみをもたらしてくれる力のことです。一方、台風、大雨洪水、地震、病気、事故、死など決して喜べない、できれば避けて通りたいことを「勢至」と呼ぶそうです。私たちは、楽しさや喜びをもたらす「観音」だけをつい求めてしまいます。しかし「観音」だけの人生だと、人はおごりやうぬぼれを強くし、無気力になっていきます。そこで苦しいことにも蓋をせず、良いことも悪いことも明暗を同時に見ていくよう勧めるのが、この言葉です(『心の荷物をおろす108の知恵』参照)。
皆さんが出会うさまざまな辛さ、大変さ、苦労には、必ず意味があるはずです。それは今わかるものもあれば、すぐにはわからないものあるでしょう。大切なことは、飛行機は向かい風でこそ飛ぶことができるように、そういった困難な時にこそ人間の成長や飛躍のチャンスがある、という気持ちを持つことではないでしょうか。
最後に聖書の言葉を紹介します。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者も多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。その道を見いだす者は少ない」(マタイ7・13~14)。