朝の心
そばにいる
- 2018.03.02
- 朝の心
病気やけがで入院している子どもたちのために、病院で授業をする「院内学級」というのがあるのを知っていますか?その院内学級でとてもユニークな、でも温かい取り組みを行っている先生で、副島賢和(そえじままさかず)さんという方がいます。おそらく総合学習の時間にNHKのプロフェッショナルという番組で見た人もいるでしょう。先日、改めてその番組を見直してみたのですが、この先生の人間としての素晴らしさに思わずうなってしまいました。
彼のこだわりのひとつに、「そうっと、そばにいる」ということがあります。番組の中では、一人の手術を前にした女の子が登場します。彼女は不安からか表情が硬く、ネガティブなことばかりを口にします。しかしそんな彼女の手術直前、副島先生は彼女のそばにいて、何を語るでもなく、一緒に漫画を読んでいました。「つらくても大変でも、ぼくはそばにいるよ」そんなメッセージを伝えようとしていたのでしょうか。
人は苦しみや辛さに耐えぬくために、一緒にいてくれる人を求めるのかもしれません。「苦しみの同伴者」と言ってもいいでしょう。そんな存在があるからこそ、苦しみを乗り越えたところにある平和をかみしめることができるのだと思います。
聖書の中でも、しばしば人の苦しみのそばに寄り添う人が描かれます。「ヨブ記」では、家族を失い自分自身も病気にさいなまれたヨブのそばに、何も言わずただ座り込む3人の友人が描かれます。十字架にはりつけにされて死を待っているイエスのそばにも、母親のマリア様や女性たちが立っていました。
でも、苦しむ人のそばにずっといることは、楽なことでしょうか。いいえ。避けたくなったり、逃げ出したくなったりことでもあります。皆さんは、つらそうな友人のそばで同じ時を過ごすことがどれだけできるでしょうか。私は「そばにいる」ということは、何があっても見放さないという覚悟もいることではないかと思います。
相手がどんな状態でも、温かい空気を出しながら寄り添う。これもアシステンツァの一つの在り方でしょう。私たちも互いに寄り添うことのできる存在となりたいと思います。