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MORNING TALK

朝の心

自分自身に少し優しく

2019.02.15
朝の心

 教会では、1月1日を「世界平和を祈る日」と定めています。歴代の教皇は毎年、全世界に向けて平和についてのメッセージを送ってきました。今年はフランシスコ教皇が、「平和は日々、取り組むべき挑戦である」として、聖フランシスコ・サレジオの勧めを引用した次のようなメッセージを送りました。

「聖フランシスコ・サレジオの勧めに従って、頑固さ、怒り、忍耐力のなさを克服してください。そして"他者に少し優しく"するために、"自分自身に少し優しく"してください」と(第52回「世界平和の日」教皇メッセージ)。

人は誰でも自分の欠点や間違いに気付いた時、嫌な気持ちになります。時には落ち込むことも、腹立たしくなることもあるでしょう。これに対して聖フランシスコ・サレジオは、「この点で多くの人は間違っています。なぜなら、怒った後、怒ったことを怒り、悲しんでしまったので悲しくなり、かっとなったことでかっとなるからです」と述べました。さらに「この自分に対しての怒りや悲嘆は傲慢の源であり、自分の不完全さを嘆いて不安になるという自己愛の表現に過ぎない」と言っています。

 私たちは弱い存在です。完璧な人間はいません。にもかかわらず完璧でありたいなどと思うのならば、それは傲慢(うぬぼれ)からきていると思います。私たちは皆それぞれ弱く、欠点があるからこそ人に優しくすることができ、相手をゆるし共に生きていくことができるのです。

最近、二人のスポーツ選手が引退しました。大相撲の横綱稀勢の里と女子レスリングの吉田沙保里選手です。会見で、二人は共に「悔いはない、やり尽くした」と語りました。引退を決断するまでにはきっとさまざまな葛藤や寂しさがあり、自分を責めることもあったと思います。それでも今まで必死に頑張ってきたからこそ自分の限界を謙虚に認め、「悔いはない、やり尽くした」という心境にたどり着いたように感じました。

「自分に少し優しく」とは、自分を甘やかすことではありません。欠点や間違いに気付いたら落ち着いて自分を諭し、正しくあらため、さらに自分を高めようとすることです。それゆえ、聖フランシスコ・サレジオは次のように言います。「自分のみじめさを神の前で深くへりくだり、優しく心を起こしてあげなさい。......私たちは弱いのは当然です。だから勇気をもって神のあわれみと信頼をもって、少しでも良くなるようにもう一度歩み始めなさい」と(『神への道のり』参照)。

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