朝の心
神対応
- 2019.05.18
- 朝の心
「神対応」という言葉があります。トラブルや想定外のことが起こった場合の対応が、驚き感心するほど行き届いていることや、配慮に満ちたサービスなどをすることに対して最上級の好評価を表すときに用いられることが多いようです。
皆さんも見ている人が多いと思いますが、ドラマ型バラエティ番組『痛快TVスカッとジャパン』では、「神対応」の話がたくさん出てきます。イヤミ課長やぶりっ子悪女などに対して、イケメン俳優などが「神対応」する場面は、本当の話かどうかは別にしても、まさにスカッとしたり、「おぉ~」と思ったりします。
「神対応」という言葉を聞き始めた当初、私はあまりこの言葉を好きになれませんでした。神という言葉を安易に乱発している軽い印象を受けたからです。しかしよく考えてみると、神という言葉がこれほど頻繁に使われるのは、それだけ神を身近に感じている、あるいは必要とされている時代なのかなとも思います。そして日本人の心に根付いている、森羅万象に神が宿るという考え方に通じているのかもしれないと思うと「神対応」という言葉は、案外良い表現なのだと思われてくるのです。
さらに、聖書には「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るものです。愛する者は、神から生まれ、神を知っているからです」(Ⅰヨハネ4・7)とあります。それゆえ、目の前の人を大切にすること、中でも困ったり、追い詰められたり、嫌な気持ちになっている人に行き届いた配慮やサービスをする行為を「神対応」と言っても、決して大袈裟ではないのでしょう。
その意味で、私たちが生活していく上で「神対応」を行い、また見いだしていく行為は、ありがたいと思ったりスカッとしたりする以上に、日常生活を神と共に歩む尊い生き方でもあるわけです。「愛のうちにとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださる」(Ⅰヨハネ4・16)からです。神から出る「愛は、どんな季節にも実る果実であり、誰の手にも届くところに実っています」(マザー・テレサ)。