朝の心
小さき者の声になる
- 2019.11.27
- 朝の心
先日、私と数名の先生で、長崎で行われた教皇様のミサに行ってきました。3万人という人々が教皇様のもとに集い、一緒に祈るというとても感動的な時間でした。昨日は東京ドームで5万人規模のミサがあり、皆さんの内の代表者がそれに与りました。教皇様の持つ力強さを肌で感じることができたと思います。
さて、聖書に「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(マタイ20:26-27)という言葉があります。イエスの弟子たちが、自分たちのうち偉いのは誰かと議論していた時に、イエスが彼らをたしなめながら言った言葉です。「偉くなる」とはどういうことか。他の人の上に立ち、物事を自分の思うとおりに運ぶ力を持つこととも言えるかもしれません。自分が「行け」と言えば人はそれに従い、自分が「来い」と言えば人はそれに従う。「これが正しい」と言えば、それ以外の選択肢は選ばれなくなる。
しかし、イエスはそのような人ではなく、「来い」という前に自分がその人のところに出向き、「行け」という前に自ら進んでその場に行く人を「偉い者」と言います。自分の考えを押し付けるのではなく、いつも遠ざけられ、相手にされないような人の声、もしかしたら社会を効率よく回すには不都合な弱い立場にいる人々の声を、あえて拾い集める人を「偉い者」と呼びます。
教皇フランシスコはまさにそのような「偉い者」を体現しています。教皇自身「小さく、弱く、声をあげられない人の声になる」と、自分の使命について語っている通りです。
私たちの周りで、立場が弱く、声が小さく、いつも都合の悪い時には黙るようにされている人はいないでしょうか。邪魔者扱いされている人はいないでしょうか。本当は何か言いたいのに、いつも声を引っ込めてしまう人はいないでしょうか。実のところ、どんな人も自分の声を聞いてほしいのだと私は思います。
私たち一人ひとりが、教皇様の姿を倣いながら、弱い人、言葉を発することのできない人、自分にとって都合の悪い人の声に耳を傾け、あわよくばその人の声になってあげられる人間でありたいと思います。