朝の心
ユーモアのすすめ
- 2020.05.01
- 朝の心
ドン・ボスコはなんでも一生懸命取り組む真面目な人でしたが、ユーモアにもあふれていました。オラトリオは大勢の食べ盛りの若者たちを食べさせていかねばならず、いつもお金に困っていました。彼らにとってサラミは日常的な食べ物でしたが、オラトリオでは、みんなで分けるためにうすく、本当に薄く切られていたようです。ある日、いつものようにペラペラのサラミが出てきたわけですが、しょうがないとはわかっていても、子どもたちの顔に落胆の色が見えました。するとドン・ボスコはサラミをつまみ上げ、窓の向こうに見えていた丘を指さして言いました。「よーし、みんな、今日も見事なサラミだぞ!ほら、薄くてスペルガの丘が透けて見える!」ドン・ボスコのおどけた感じに、食堂は大爆笑!それ以後、スペルガの丘はサラミが出た時の鉄板ネタになったとか。
人々を笑顔にさせる面白さのことを「ユーモア(humor)」といいますが、人間「ヒューマン(human)」と似たつづりを持つ言葉です。ユーモアはもともと液体を意味するラテン語から来ており、その語幹humは「土、大地」を意味するhumus、そして、その土からつくられた人間homoというラテン語につながっていきます(≒humanus:人間の)。そう考えるとユーモアというのは人間にとって人間らしさにつながる本質的な要素なのだといえるのかもしれません。
ある人はユーモアとはつらい現実と向き合う能力であるといいます。人間の力ではどうしようもできない、つらい現実を変えることはできなくても、ちょっとした発想の転換でぱっと周りが明るくなるような、そんな力がユーモアなのかもしれません。
今、私たちの世界は恐怖や不安の霧に包まれ、先の見えない状況が続いています。家族と家で過ごす時間が増えた一方、家庭内暴力が増えているというニュースも聞きます。皆さんも何かしら不自由さやストレスを感じていることでしょう。こんなときこそ、サレジアンとしてみなさんのユーモアを輝かせるときです。マザー・テレサも次のように進めています。「暗いと不平をいうよりも、進んで明かりをつけましょう」。そして私たちの苦しみや悲しみは、いつかきっと喜びに変わるのだと、キリストの死と復活は教えてくれています。