朝の心
人生の選択にアプリは必要か
- 2020.06.22
- 朝の心
カーナビゲーション、通称カーナビが車に搭載されてから、すっかり道を覚えなくなりました。それまでは事前に地図を開いて、ある程度の道順を頭に叩き込んで運転していました。おかげで東京で配達の仕事をしていた時には、首都高をはじめ、いくつもの路地裏、抜け道までかなり覚えていました。ところが今ではすっかりカーナビに頼りきりで、時には今いる場所さえも分からず、カーナビの案内どおりに進むしかない時があります。スマートフォンにいたってはもっと便利で、アプリを使えばほとんど道に迷うことなく、カーナビ以上に細やかな道案内をしてくれます。
では人生の選択において、最良の道を案内してくれるカーナビやアプリなどがあれば、皆さんは使うでしょうか。おそらく「それは別の話」と思うでしょう。楽かもしれませんが、決められた道を歩む人生なんてつまらないからです。また、使ったとしてもきっと役に立ちません。人生というのは明日何が起こるか分からず、計画どおりいかないものです。ある程度の予測はできてもまったく見当違いのことが起こったり、ゴールが見えず、自分の努力ではどうしようもなく絶望せざるを得ないようなことに出くわしたりします。今のコロナ禍の世の中は、まさにそんな状況の一つかもしれません。
人生の選択において、自分自身を不安に陥れているのは、その選択が正しいかどうかではなく、一緒に歩んでくれる人がいるかどうかではないでしょうか。その相手は家族や友人であったり、あるいはパートナー、恩師など、時と場合でそれぞれ違っても、自分で決めた道を自分の意思で歩み始めた時、時には一緒に歩き、背中を支え合い、また時には間違えを正し、試練を一緒に乗り越えてくれる存在がいれば、どんな人生を選択したとしても幸せを感じるに違いありません。少なくともイエス・キリストは、皆さんと必ず共に歩んでくださいます。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と約束してくださっているからです。そればかりか「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。......わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11・28~30)とも言ってくださっています。
今日も共に歩んでくださっていることを信じて、前へ進みたいものです。