朝の心
葉っぱの緑色
- 2020.09.03
- 朝の心
皆さんおはようございます。いい時間帯ですね。
突然ですが、目を閉じて想像してみてください。あるところに窓も電気もない部屋があってその中に一つの植木鉢があり一輪の花が咲いています。あなたは目を閉じてその部屋に入り、そして目を開けます。目の前の花は何色ですか?
これは心理テストではありません。正解は電気も窓もない部屋なので真っ暗で、「花の色はわからない」です。よく考えてみると、緑色の葉っぱであれ、色鮮やかな花びらであれ、自らその光を放っているわけではありません。
私は子どものころ、植物が緑色なのは緑色の光が植物にとってとっても必要で大切な色だから、緑色をしているのだと思っていました。しかし実際は、葉っぱは太陽の光を吸収するにあたり、緑色の光だけを跳ね返しているから私たちの目には葉っぱは緑色に見えるのです。つまり、緑色は植物の成長にとって最も不必要な色であるといえます。不要な色が表に現れ、それを見る私たちはその色を美しいと感じる、自然というものは何とも不思議なものです。葉っぱが一生懸命できるだけ多くの色を吸収しようとして、どうしても吸収できなかった色だからこそ、私たちはそれ見て美しいと思えるのかもしれません。
その人のカラーというと、その人らしさやその人の特徴のことを指します。そして、ふつう私たちは得意なこと、自分が吸収できたものを自分のカラーだと普通は思います。しかし、緑色の葉っぱを見ていると、自分が吸収できなかったもの、不得意なことの方がむしろ自分の色なのではないか、と考えさせられます。すべてのものは神に造られて「よし」とされたものです。できないこと、不得意なことも見方を変えれば、恥じるべきものではなく、自分の、またその人の特徴のひとつとして捉えられるもの、ある意味美しいと思えるものなのではないでしょうか。ただしそれは、一生懸命、習得しようと努力した結果、おもてに表れる色なのです。