朝の心
自然を大切にできない人は、人間をも大切にできない
- 2020.10.16
- 朝の心
秋の代表的な魚の一つに秋刀魚があります。安くておいしい庶民的な魚として食べられてきた秋刀魚ですが、ここ数年は漁獲量が減る一方です。いずれ秋刀魚は、高級魚になるのではないかとさえ言われています。秋刀魚が獲れなくなったのにはさまざまな理由がありますが、今、私たちが真剣に考えなければならない環境問題とも関わりがあるようです。
フランシスコ教皇は、今年の5月24日からの一年間を、地球を「共に暮らす家」として意識的に大切にしていく特別年と制定しました。フランシスコ教皇は、自然は神からのプレゼントであり、その世話と保護は私たち人間に任された大切な責任であるとおっしゃっています。人間中心に考えるのではなく、私たち一人ひとりが「共通の家である地球」を守り、次の世代にも大切に残していかなければならないと、訴えておられるのです。
古来から日本には、あらゆるものには神が宿る、という考えがあります。特に自然に対しては畏敬の念を持ち、共に生きる姿勢が大切にされてきました。その姿勢がよく表れている習慣のひとつが、食事のときに言う「いただきます」という言葉です。「いただく」とは本来、ものを両手で頭に載せることでした。それが、ものを敬い大切に扱う意味となり、「食う」の謙譲語になったと言われています(「天声人語」(2014/09/14参照)。
フランシスコ教皇は、自然を大切にできない人は人間をも大切にできないとおっしゃっています。「自然を大切にするすべを知らなければ、人を大切にすること、人の素晴らしさ、兄弟姉妹を大切にすることはとても難しくなります」と。
高校校舎南側にあるイチョウの木には、毎年たくさんの銀杏の実がなります。今年は、先月の台風10号のせいで、実が大きくなる前にかなり落ちてしまいました。それでも強風に振り落とされずにたくましく豊かに実った銀杏の実が残っていました。あらためて、自然から「いただく」収穫の恵みと有難さを実感しました。