MORNING TALK
朝の心
天を相手に
- 2021.03.09
- 朝の心
西郷隆盛が遺した教えのひとつに「天を相手に己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」という言葉があります。
人は限りある存在です。しかし、神は無限の存在です。人は不完全な存在です。しかし、神は完全な存在です。人の視力には限界があります。しかし、神の目は何もかもお見通しです。と、このように考えることが、「天を相手にする」という意味なのだと思います(『心の杖のことば365日』参照)。
聖書にも同じような意味の教えがあります。
「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」(マタイ10・28~31)。
学院の校訓は「己を知り、己に克て」です。これを、「何よりもまず自分自身をよく知って、その自分に打ち克っていく」という意味だけで捉えているとしたら、それは半分しか理解できていないことになります。天を相手すること、つまり神を相手にして「己を知り、己に克っている」という視点をも持たなければなりません。言い方を変えれば、神に対して己を尽くしているか、誠実であるか、ということです。目先の成功や失敗、勝ち負けあるいは損得などを超えた視点から、あらためて自分の至らなさを謙虚に見つめてみましょう。神に対しても人に対しても、常に誠実に信念をもって生きていく姿勢こそ、もっと大切にされるべきではないでしょうか。