朝の心
過去を振り返ることは将来に対する責任を担うこと
- 2021.03.12
- 朝の心
昨年の8月6日午前8時15分、私が高校校舎南側を歩いているとサイレンが鳴り始めました。広島に原爆が投下された時刻です。サイレンが鳴る間、私は反射的にその場に立ち止まり黙祷を捧げました。小学生の頃から、この日は特別な日として夏休み中にもかかわらず学校に行き、サイレンと同時に皆で黙祷を捧げていた体験があるからです。ところが去年のその日はいつも通りの生活の音が聞こえていました。笑い声が聞こえてきたりもしました。
2011年3月11日午後2時46分、巨大な地震が東日本を襲いました。東北に住む知人への慰問と救援物資を届けるため、私が車で被災地を訪れたのは、その約ひと月半後のことです。驚くばかりの酷い光景がいたる所に広がっていました。「言葉が出ない」とはこういうことなのかと幾度も胸がつぶれそうになりました。そして福島県の飯舘村を訪れた時には、すでに東京電力福島第一原発から漏れた放射能が問題になっていました。同行した仲間の一人が原発に詳しかったため、私たちは防護服に全身を包んで飯館村のある集会に参加しました。マスコミもたくさん来ていましたが、防護服を着ていたのは私たちだけで、私は正直、こんな大げさな恰好をする必要があるのかと違和感を覚えていました。しかし間もなく飯舘村は計画的避難区域となり、居住制限がかかりました。今思えば、たまたま原発に詳しい仲間と一緒だったおかげで防護服を着用し、安全策をとることができたわけです。情報を正しく「知る」のがいかに大切か、思い知らされました。
日本は、原子爆弾が落とされた世界唯一の被爆国です。また巨大地震と津波に襲われ、原発事故を経験した国です。事故から十年たった今も、災害の後遺症で苦しんでいる人が大勢います。私たちはまず、その現実を正しく「知る」ことが大切です。「知る」ということは、相手を理解することの第一歩であり、正しく行動するための基本的な作業だからです。
東日本大震災から十年目を迎えた今日、この日本で生きる私たちは、今、何が課題とされているのか、改めて考えていかなければなりません。
最後に、聖ヨハネ・パウロⅡ世が広島を訪れた時に、世界に向けて話された言葉を紹介します。
「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」。