朝の心
本物の善は隠れるほうに向かう
- 2021.03.15
- 朝の心
前回、ドン・ボスコが怖れた悪魔のささやきについてお話ししました。
ドン・ボスコが模範にした聖フランシスコ・サレジオによれば、悪い霊は人間の虚栄心を好み、謙遜という徳をいやがるのだそうです。そしてその謙遜とは本物の善を見分けるポイントになるとも言っています。
サレジオいわく、本物の善とは本物の香油のように識別できる。質のよい香油は水に下に沈んでいくのだとか。実際に調べてみますと植物からとられたエッセンシャルオイルにはクローブやシナモンなど水に沈むものもあるようです。
サレジオはこのような水に沈む香油をたとえに、本当に知恵深い人や寛大な人、高貴な人であるかどうかを知るためには、「これらの資質が謙遜や遠慮、隠れることに向かっているかを見ればよい」と言っています。そして、もしそれが逆に表面に浮かんできて、他の人に見せびらかすようなものであれば偽物であるということになります。本物の善は「隠れるほうに向かう」ということです。
同じ良いことをするなら、誰にも知られないよりは、人に感謝され、褒められた方がいいではないか、と思う人もいるでしょう。ほめられたらうれしいですし、それ自体、決して悪いことではありません。しかし、悪霊はそこに漬け込み、他者の善よりも、自分の名誉を求めるよう人間を誘惑します。自分が褒められるために人に見てもらおうとして行うならば、それは誰かのためではなく、自分のために行っているのです。ほめられても謙虚に受け止め、自慢せず、誰も見ていないところでも善いことを行える人は悪霊にスキを与えない人なのです。
また、誰にも知られないからと言って残念がる必要もありません。「そうすれば隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」(マタイ6:4)とイエスは教えています。神様がいつも私たちを見てくれているのです。人知れず、善いことを行ってみませんか。
(浦田慎二郎『フランシスコ・サレジオと共に歩む神への道のり』ドン・ボスコ社、68-69頁参照)