朝の心
「夢を語ろうか」
- 2021.07.04
- 朝の心
先日、イタリア旅行中にスリにあい、お金をごっそり盗まれた夢を見て、寝床で冷や汗をかいていた中田です。
さて、皆さんは「夢」を持っているでしょうか。小さい頃に「あなたは将来、何になりたい?」と聞かれて、「キャビン・アテンダント」とか「科学者」とか答えていた記憶があるかもしれませんね。ちなみにわたしは小学生の頃は「エンジニア」になりたいと答えていました。
わたしが以前お世話になった神父様に溝部神父様という方がいました。後に司教になった偉い人なのですが、彼が若い人たちに声をかけるときのある口癖がありました。それは「夢を語ろうか」というものでした。彼は若者が大好きで、還暦を過ぎても教会に若者を集めては食事を振る舞い、そして一緒に「夢を語った」人でした。
ある時、まだ大学生だった私ともう1人の神父の卵だった神学生が溝部神父様に呼ばれて、1人の先生とお話をすることになりました。彼は高専の先生で、学校で働きながら博士号まで取った人でした。わたしが理科の勉強をしているのを知っていた溝部神父様は、わたしに理科を極める「夢」をその先生と引き合わせることで「語ろう」とされたのでした。結局、私は博士号を取ることはしませんでしたが、自分の中で、理科を勉強することの可能性を大きくすることができたのでした。
皆さんは、誰かと「夢を語る」ということをしているでしょうか。日本人の多くは「自分の夢を語る」ことに消極的だとある講演会で聞いたことがあります。なぜなら、多くの人が「話せば夢を否定される」という不安を抱えているからだ、と言います。でも、歴史を見てみれば、誰かの一見馬鹿げた夢が新しい技術を作り、新しい社会構造を作り、未来を作ってきたということがわかります。アメリカの公民権運動に命を賭けたマーチン・ルーサー・キング牧師は、後世に残る有名な講演の中で「わたしには夢がある。I have a dream.」という言葉を繰り返しました。そして、人種差別をなくそうとする法律を勝ち取ったのでした。
聖書には次のような言葉があります。「老人は夢を見、若者は幻を見る。」(ヨエル書3章1節)
若者である皆さんには、大いに夢を語る権利があります。「どんな学校生活にしたいか」「どんな日本にしたいか」「どんな世界であってほしいか」。実現するかどうかはこの際関係ありません。今の自分や世界を悲しい目で見るのではなく、希望を持てる未来について夢をもってほしいと思うのです。
どうでしょう。校長室で一緒に「夢を語りませんか?」