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MORNING TALK

朝の心

人に施すときは

2021.07.04
朝の心

あるとき、9歳のしょう君は教会で神父様が次のように話しているのを聞きました。「君がしてほしいと思うことを、他の人にしてあげなさい。そうすれば、神様が喜んでくださるよ。」それを聞いたしょう君は、「よーし、今日からやってみよう!」と心に決めました。

次の日のお昼頃、しょう君は少しお腹がすいてきました。するとお母さんが「これをお食べ」とアップルパイを作ってくれました。ちょうどそこに、友だちのケンちゃんがやってきて言いました。「今日はお母さんがお仕事で、お昼は何も食べてないんだ。」しょう君は昨日神父様が言ったことを思い出して、自分が持っていたアップルパイを半分ケンちゃんにあげました。「うわー!美味しそう!」ケンちゃんはぺろりと食べると、何も言わずに行ってしまいました。しょう君は何だか心がモヤモヤします。「何だよ。せっかく僕の分を半分あげたのに、ありがとうの一言もないのかよ。」それ以来、しょう君はケンちゃんのことが嫌いになってしまいました。

神父様の言うことをやってみたのに、なぜしょう君は幸せになれなかったのでしょう。
皆さんだったら、しょう君にどんなアドバイスをしますか?

しょう君は「アップルパイをあげたら、ケンちゃんは喜ぶだろう」と最初は思っていました。しかし、それが「ケンちゃんは感謝するはずだ」、そして「ケンちゃんは感謝するべきだ」という気持ちにいつの間にか変わってしまいました。つまり、ケンちゃんへの「思い」がケンちゃんの行動を「支配しよう」という心とすり替わってしまったのです。

「利他」という行為の裏に、実は「利己」の心理が見え隠れすることもあるという事例でしょう。

「誰かのために自分のできることをしよう」という心がけはとても尊いものです。ただ、忘れてはいけないのは「自分の行為の結果はコントロールできない」ということだと、美学者の伊藤亜紗(いとうあさ)さんは言っています。(伊藤亜紗編『「利他」とは何か』集英社新書より)

イエス様は聖書の別の箇所で「施しをするときは、右の手がすることを左の手に知らせてはならない」と言っています。いいことをするのは、みんなに見せるためでもなければ、褒められるためでもない。ただ、それが人として神様の前に正しいことだからと思えるかが、その人の人間としての深さを表すのです。

では、しょう君はどうすればいいのでしょう。こんなのはどうでしょう。次にケンちゃんに会ったときに「この間のアップルパイ、どうだった?」と聞いてみる。もしかしたら「すっごく美味しかったよ!誰が作ったの?お返ししようと思って家に急いだんだけど、何もなかったんだ」と答えるかもしれません。

自分が作ったネガティブな印象で自分の心を一杯にするのではなく、相手の心に耳を傾ける余白を自分の中に持ってみましょう。

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