朝の心
75年前のある日
- 2021.09.22
- 朝の心
今から75年前、日向学院が何とか簡単な臨時の校舎を建てて始まった1946年の春のある夜、チマッティ神父のもとに3人の男性が深刻なまなざしで「裁判所の長官に取り次いでもらえないか」とやってきました。話を聞くと、つぎのようなあらましでした。
児湯郡新田村下末永集落の農家男性30名に禁固3カ月が言い渡された。占領軍は武器や弾薬を埋めた者は市町村を通じて届け出るように命じたので、彼らは敗戦後すぐに軍の指示で村に武器を埋めていいたことを期日前に村役場に届け出たが、役場から占領軍に知らされていなかった。占領軍裁判所はそのことを知らないまま判決を下してしまったのだった。役場や警察に訴えても相手にしてくれず、刑の執行まで残り2日となってしまった。このままでは田植えができず、集落の存亡にかかわる。こうなれば直接裁判所長官にお願いするしかないが、長官に直接会えるのは地位のある人だけ。彼らは県知事、県警察部長、市長の元を訪れたものの留守であり、最後の最後に大分教区長でもあったチマッティ神父のもとを訪れたのだった。
ニコニコひげを触りながら男性たちを迎えたチマッティ神父でしたが話を聞いて真剣な顔になり、手を後ろに組んで部屋の中を行ったり来たりして、時々顔をあげたりしはじめました。「神父にとっては困る役目です。しかし、ほっておけば、部落の人はどうなるか」。そして「明日9時に、いっしょに長官を訪問しましょう」と言いました。翌朝、長官と面会したチマッティ神父はしばらく会話した後、長官からメモを受け取りました。同席していた男性が会話の内容を尋ねたところ「事件や政治のことについて、私からどうしてくれとは言わなかった。新田村の老人子供たちに、あなたのできる愛を示しなさい。あなたの罪の償いとして神様のために何かしなさいと言ったら、ペンをとって何か書いた」とチマッティ神父は答えました。そのメモをもって裁判所へ行くと異議申し立てをすることが許され、30名の刑は執行されなかったということです。知らない人でも目の前に困っている人がいたらほっておけない、チマッティ神父のやさしさ、まさにイエスの「憐れみ」の心です。
(A.クレバコーレ著『チマッチ神父の生涯下巻』820-822頁参照)