朝の心
ある夫婦の体験
- 2021.12.15
- 朝の心
私たちは今、日本にいる難民の方々のためにクリスマス募金をしています。そこで少しでも難民のことを知ってもらうためにあるベトナム難民夫婦が日本に行きついた話を紹介したいと思います。
今から39年前、ベトナム戦争が終わって7年が経ったころの話です。ベトナム戦争は南北に分かれたベトナムが統一をめぐって展開した戦争でした。その夫婦は戦争に負けた南ベトナムに住んでいました。敗戦した側の住民の生活は悲惨なものでした。政府の公安は、農家や漁師から収穫したものを半分以上奪ったり、住民にひどいいじめを行ったりしていました。このままここで生活しても自由がなく、死んだような生活しかできないと思ったある夫婦は、決死の覚悟で、国を捨てて逃げることに決めました。政府の公安に気づかれないように、ある夫婦の父が漁師をしていたのでその船を使って、漁に出かけるように見せかけて出発しました。それは1982年5月15日でした。逃げる準備は十分にはできず、食料は約1週間分で、脱出用の船は屋根もなく、トイレもない全長9m、横幅2,5m、つまり教室半分の大きさほどでした。しかもその船にはある夫婦を含めた41名の難民が乗船していました。船上での生活は悲惨なもので、高波でひどい船酔いに襲われたり、トイレがないため、衛生面に問題あり、皮膚に異常をきたしたり、悪天候で眠れない夜が続きました。出発してから1週間が経ち、疲弊しているところに日本の石油タンカーが近くを通りました。助けてもらおうと必死に大声を出して助けを呼びました。小舟に気づいた日本の石油タンカーは難民全員を2時間かけて救出しました。そのすぐ後に大きな台風が来て、小舟が大破しました。ある夫婦はその光景を見て、あと数時間出会うのが遅れていたら全員死んでいたと思い、ゾッとしました。救出された難民はシンガポールに連れていかれ、そこで様々な国に散り散りになることになり、ある夫婦は約1か月後の7月ごろ、長崎県に行きつきました。その後仕事を求めて西日本を転々として現在兵庫県に定住し、日本国籍を取得して平和に暮らしています。
この難民の夫婦の話は実は私の両親の話です。私の両親はこのことを一度も自分たちから話そうとしませんでした。人生で最もつらい出来事だったからだそうです。私たちが今難民にできることはそんなに多くはないかもしれません。しかし事実を知ることで何らかの心の動きが出てくると思います。私たちが知ろうとすること、これが私たちのクリスマス献金の第一歩だと思います。