朝の心
いつくしみの心
- 2022.12.02
- 朝の心
この度、カトリックの一番大切な儀式であるミサの日本語訳が約40年ぶりに改訂され、11月27日から実際に使用されます。司祭と会衆の言葉づかいにいろいろ変更がでているのですが、例えば「主よ、あわれみたまえ」などで登場する「憐れみ」が「いつくしみ」に訳が変更されます。これらのもとになっているラテン語はmisericordiaで悲惨(miseria)と心(cor)からなる合成語です。すなわち、他人によって心を動かされ、ともに痛み苦しむことを現わす言葉です。唱える日本語は変わるのですが、助けを必要としている人を決してそのままにはしておけない、わが子を大切に思う天の御父の心を現わしている言葉に変わりはありません。
仏教でも自分と相手を大切に思う慈しみ(慈悲)の心が大切にされています。アメリカで活躍するスリランカ出身の僧、バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ氏は「慈悲の瞑想」という方法を通して自分の中に慈しみの心を育てていくことを勧めています。その方法は難しいことではなく、料理を作っているときは「これを食べる人が幸せになりますように」とか、掃除をしているときは「みんなが気持ちよくすごせますように」などと心に願いを込めながらその行為をしていく、ということなのだそうです。そして「これは単なる願い事ではなく、心もそして脳までも実際に改善される」と言っています。
先日の若鳩祭では生徒会の役員の皆さんや、中3の皆さんが素晴らしい準備とパフォーマンスをしてくれたのですが、そのパフォーマンスができたのは、ダンスにしてもコントにしても合唱にしても、「みんなに楽しんでもらいたい、よろこばせたい」という慈しみの心が皆さんの中にあったからではないでしょうか。ぜひその心をこれからも育てていってください。何事も愛によって行おう。後輩の皆さんも何事にも願いを込めて行ってみましょう。
参照:バンテ・ヘーネポラ・グナラタナ著『慈悲の瞑想』春秋社