朝の心
「メリークリスマス!」
- 2022.12.14
- 朝の心
メリークリスマス!
今、みなさんはこの言葉を聞いてどういう気持ちになりましたか?嬉しいや楽しいなどの明るい気持ちでしょうか、それとも暗く、悲しい気持ちでしょうか。もしかすると「メリークリスマスを言うにはまだ早すぎるだろ」と思った人もいるかもしれません。このメリークリスマスという言葉にはどういう力があるのでしょうか?
3年前、私はフィリピン・マニラにある国際神学院でクリスマスを迎えました。その神学院では毎週末、神学生たちは色んな教会に行ってミサやそこでの教会活動の手伝いをすることになっていました。しかし、私が配属されたのは教会ではなく、麻薬依存者のための更生施設でした。町の中にあるその施設の塀は高く、門では毎回厳しいチェック受けて中に入ります。私たち神学生が担当する施設はさらに厳しく、塀の内側にもう一つの塀があり、再度、門でチェックを受けて中に入ります。その中の広場でのミサの手伝いをするのが私たちの仕事でした。その更生施設には男女1000人以上の人が収容されており、服装は全員真っ白のTシャツと短パンです。規則やルールが厳しく、監視員が常に目を光らせ、刑務所のような場所でした。そこには幅広い年齢層が麻薬への依存から抜け出すために収容されており、その光景はフィリピンの麻薬問題の根深さを物語っていました。
その施設にはもう一つ中に塀があり、特別な監視をされる場所がありました。外の世界から数えて計3枚の塀に囲まれた場所です。そこに収容されている人たちはミサのために広場にも出てくることが許されません。私たちがその特別監視区域の中に入れるのはミサの中で祝福されたパン、つまりご聖体をもっていき、配る時だけでした。
私はクリスマスの日に初めてそこにご聖体をもっていき、配る担当になりました。その特別監視区域の塀の中に入って驚いたのはその中に収容されていたのは小学生から中学生くらいの子どもたちだったことです。それぞれ色々な事情で麻薬に手を出してしまったのでしょう。200人ほどがそこにいました。そして監視員全員の手には警棒があり、列を作るなど指示を出すときはすべて怒鳴り声をあげ、その空間は緊張感で張りつめられていました。私が塀の中に入ると、監視員の「気を付け、挨拶」という怒鳴り声の後に、小中学生男子たちの建物が震えるほどの大声で「おはようございます、神学生」と挨拶がきました。その声と雰囲気に圧倒されながら200人にご聖体を配り終えると再度、監視員の「気を付け、挨拶」の怒鳴り声の後に「ありがとうございました、神学生」と大声が続きました。本来ならばそこで施錠された扉を開けてもらい、ミサが続いている広場の方に戻るところだったのですが、私はこの子どもたちが非常に不憫に思い始めました。フィリピンはクリスマスを盛大に祝うことで有名です。その準備は9月から始まります。その更生施設でもクリスマスは特別で、家族に会えたり、パーティーがあったりします。しかしその特別監視区域の子どもたちは厳しい監視下でなんのお祝いもなく過ごさないといけないからです。
そこで私はその張りつめた緊張感の中、ありったけの勇気を振り絞って「メリークリスマス!!」と叫びました。一瞬、何が起こったかわからないような空気が流れた後に、顔をこわばらせていた子どもたちは少し笑顔になり、「ありがとう、神学生」と次々に口にしてくれました。私がその子たちにしてあげられたのは「メリークリスマス」と声をかけただけです。彼らに対して大きなプレゼントをすることはできませんでした。しかし、この言葉で特別に監視されたあの厳しい空間にいる彼らにクリスマスのことを思い出させ、少しだけ彼らの心を明るくすることができたように思います。
皆さんも、普段は難しいような小さな行いや声掛け、挨拶などをこのクリスマスの時期にしてみませんか。その少しの勇気でクリスマスの喜びを周りの人にも伝えることができるかもしれません。クリスマスの喜びは周りの人と分かち合ってこそ、真の喜びになるのです。