朝の心
思いやり
- 2023.04.12
- 朝の心
修道者は一年に一回必ず一週間程度自分の仕事を離れ、静かな場所で祈りと黙想を行う黙想会というものを行います。私がサレジオ会員になりたてのころ、その年の黙想会の指導に同じサレジオ会の高齢の神父さんが来てくれました。早めに会場についていた私は小柄で、灰色の帽子とコートに身を包んだ老神父が大きなバックを手に向こうからやってくるのを見ました。「重たそうだな」と一瞬思ったけれど、あいさつをしただけで「こんにちは。今日からよろしく!」とほほ笑んで、目の前を通り過ぎる老神父をただ見送ってしまいました。
「思いやり」の心が大切だとわかっていても、その思いを形にできないことが案外多いのではないでしょうか。最近、「思いやり」は「想像力」×「行動力」※だと説明している本を目にしました。掛け算なのがポイントで、もし想像力が100でも行動力がゼロだったら、思いやりはゼロになってしまいます。相手の状況や気持ちを想像しただけで終わるなら、相手を思いやったことにはならないということでしょう。イエスも自分についてくる人々に「わたしに向かって『主よ、主よ』という者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21)と口先だけでなく実際に行うこと、大切だと信じていることを実行することの大切さを述べています。
同時に、ただ行動すればいいというものでもありません。行動力が100あっても相手のことを想像することがなければ、やはり思いやりはゼロです。最近、回転ずし店やレストランでのとんでもないいたずらが話題になっています。行動力はあったかもしれませんが、お店のことや他のお客さんのこと、動画をネットに上げたらどうなるかなどに思いが及ばなかった、決して許されない、取返しのつかない行為です。
自分と周りの人をより大切にすることができるように、思いやりの心、想像力と行動力どちらも高めていきましょう。
※宮澤悠維『学級経営の心得』(学事出版)