朝の心
勉強は苦痛か?
- 2023.10.19
- 朝の心
あるとき、6歳から15歳までの600名の子どもたちを対象に、ある実験が行われました。それは教室で先生が次のように生徒たちに宣言するというものでした。
「これから、行儀の悪い生徒には『教室の外に出て遊ぶ』という罰を与える。そして、行儀の良い生徒には『教室で勉強を続けられる』というご褒美を与える。」
すると、生徒たちはどうなったと思いますか?また、皆さんだったら、どちらを選びますか?
その生徒たちは全員、その宣言から1日から2日以内に、自分は遊びよりも勉強の方を好んでいることに気づくことになりました。そして興味深いことに、生徒たちは結果的に算数を含むいくつかの教科で以前よりも学習能力を向上させることが出来たそうです。
これは、心理学者のドナルド・ヘッブが行った実験でしたが、別にこれから同じ実験をこの学校で行おうという訳ではありません。この実験が教えていることは何かということを考えてみたいのです。
私は「勉強」や「仕事」はもっと楽しむことができるということではないかと思うのです。「教室を出て、遊んできてもいい」と授業中に言われても、一人で何か遊びに夢中になれるかと言えばそうではないし、逆に授業にしっかりと参加したほうが「楽しい」と感じられる時も少なくはありません。夢中で仕事に打ち込む人を見ると、遊んでいるかのようでもあります。それは、勉強や仕事の中で自分の成長を感じられたり、新しい発見を得られたりするからです。つまり、とりかかる前に抱きがちな「勉強や仕事はつまらなく辛いもの、重荷だ」という考えに縛られた意識から自由になって、それを楽んでみようとする意識を持つことで、わたしたちはもっと日常に幸せを感じられるということです。
イエス・キリストはこう言います。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイによる福音書11章28~29節)
ここで言う「軛(くびき)」とは、牛や馬に荷物を運ばせるときに付ける道具です。イエスは荷物を取り去ってあげようとは言いません。荷物を運ぶ運び方を変えてあげようと言うのです。
大変だな、しんどいなと思う勉強も仕事もお手伝いも、意識の持ち方で軽くもなれば楽しくもなります。できれば、前向きな取り組み方をしていきたいものです。