朝の心
殉教者の日に思うこと
- 2024.07.05
- 朝の心
皆さんのルーツはどこにありますか?私のルーツは上五島です。父方の祖父は上五島の頭が島出身でその昔江戸時代のキリスト教迫害時代に長崎県の外海のあたりから迫害を逃れて五島に移ったのではないかといわれています。
先日7月1日はその迫害の中1603年から1639年にかけて日本の各地で殉教した188名の殉教者たちのお祝でした。正式には福者ペトロ岐部と187殉教者といいます。豊臣秀吉の禁教令以降、数えきれないほど多くの信者が振興のために殉教しました。記録が残っているだけでも5000人以上にのぼるそうです。その中の一人に薩摩の殉教者レオ税所七右衛門という都城出身の武士がいます。1569年都城に生まれ、1596年、主君・北郷加賀守三久にしたがって新しい領地である平佐(現在の薩摩川内市)に移りました。そこで、信者であった友人パウロ吉右衛門からイエスについて聞き、教会に足を運び宣教師の熱意に感化されながら洗礼を受けます。しかし、そのころはすでに主君は配下の武士たちが洗礼を受けることを禁止していたのです。何度も何度も同僚や上司から信仰を表面上だけでも捨てて、生き延びないかと説得されても、頑として譲らず、最後には河原で首をはねられ殉教します。
このように最後まで信仰を守って殺されていった殉教者たちは、命を懸けて信仰を明かししました。一方で、命を懸けられなかった人たちもいます。すべての人が殉教者たちのように貫けず、踏み絵を踏んだりして生きながらえたのでした。私のご先祖もそのような人たちの一人であったのではないかと思います。しかしながら、そのような生きながらえた人たちが迫害の中で静かに、でも脈々と信仰を受け継いできたことは確かです。そういう意味では殉教者も、生き残った人もすごく強いと私は思います。
殉教者たちの取次ぎを願って正しいことを貫く勇気を願いたいと思います。また、みんながみんなヒーローにはなれないかもしれません。そうでなくても、たとえ失敗したり裏切ったりしてしまっても、終わりではなく、再チャレンジというか、何か役割がある。やるべきことがある。そんなことを殉教者のお祝いの日には考えます。