朝の心
捧げる心
- 2024.12.16
- 朝の心
ルカ福音書の中に「やもめの献金」というお話があります。イエスが神殿の端の方に座り人々を見ていると、金持ちたちはたくさんのお金を賽銭箱に入れていきました。するとある貧しいやもめがレプトン銅貨を二枚、現在のお金で言えば100円ぐらい賽銭箱に入れました。イエスはそれを見て弟子たちにいいました。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは誰よりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」(ルカ21:3-4)
先日、知り合いの神父さんから聞いた話です。数か月前、彼の友達である日本人の神父さんがある世界的な会議のためエクアドルに行きました。その期間中にある教会でミサに預かったときのことです、聖書が読まれ、地元の神父さんの説教が終わった後、大勢の人が席を立ち教会から出ていったそうです。それを見た神父さんは「なんだ?ミサの途中で帰っちゃうの?」と内心焦っていたのですが、しばらくすると出ていった人たちは両手にいろいろなものを抱えて帰ってきました。お米や果物、野菜の数々、人々は自分が収穫したものなどをミサで用いるパンとブドウ酒と一緒に祭壇に奉納していきました。
「ああ、南米はこういう文化なんだな」と神父さんが安心していると人々の中に見るからに貧しい女性が小さな黒いビニール袋を片手にもってトボトボ歩いてくるのが見えました。神父さんはその中身が気になって仕方がなく、祭壇の前でその袋を受け取った後、中をこっそり見てみました。中に入っていたものはトイレットペーパー2つでした。思わず涙が出てきました。この人にとってこれが生活のすべてだったのではないか、と。
たくさん持っているからよい、すこしだからダメということではく、大切なのは自分が苦しい時にも他の人のことを考えて何かししたいと思うかどうか、自分の持っているもの捧げる姿勢、捧げようとうする心が大切なのだと思います。いま、全世界でクリスマスを準備する期間が始まっていて、学院でもクリスマス献金が行われます。この貧しい人々にならって少しでもささげようとする心を持ってもらえたら幸いです。